懸命な闘病生活の末に、急性心不全で惜しまれながら死去された西城秀樹さん、病院はどこか横浜近辺だったのでしょうか。昭和のアイドルスター、西城秀樹さんが死去された病院はどこなのか、自宅青葉区近辺なのかを調べてみました。
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西城秀樹が死去した病院はどこ?
(出典:http://www.yomiuri.co.jp)
昭和男性アイドルのスター、西城秀樹さんが死去されました。熱狂的ファンがたくさんいましたから、死去の報道はショックでしたよね!晩年は闘病生活でつらい姿が報じられていたので、死去はとても残念です・・・
さて、西城秀樹さんが死去された病院については、横浜市民病院や横浜市立大学付属病院との噂も流れていましたが、西城秀樹さんが実際に入院していたのは「昭和大学藤が丘病院」ということが判明しました。こちらの「昭和大学藤が丘病院」は、一体どこにあるのでしょうか。
西城秀樹の入院先病院って横浜のどこかにある?自宅の青葉区近辺か調査!
(出典:https://www.daily.co.jp)
西城秀樹さんが死去された「昭和大学藤が丘病院」は横浜市青葉区にあり、昭和大学の二つ目となる病院として開設されたそうです。西城秀樹さんが以前に脳梗塞にあった時も、こちらの「昭和大学藤が丘病院」に入院していたようです。実際に西城秀樹さんと病院内で遭遇した事がある方も多かったようですよ。
西城秀樹さんは緊急搬送という事で、自宅青葉区近くのこちらの「昭和大学藤が丘病院」に4月25日から入院しており、5月16日に急性心不全を発症して死去されてしまいました。本当に残念な出来事です。
西城秀樹の葬式会場・お通夜やお別れ会日程・場所を調査!
(出典:https://woman.excite.co.jp)
西城秀樹さんの告別に関しての式ですが、お通夜は25日の午後6時から、葬儀告別式は26日の午前11時から青山葬儀所で営まれるとの事です。そしてお別れ会ですが、昭和の男性ビッグアイドルとして、名曲を数多く生み出した西城秀樹さんですから、様々な有名人が集まるかなり大きなお別れ会になると思いますし、どこの会場を準備するにも、ある程度の時間がかかると思います。
まだ西城秀樹さんが死去されて間もないですし、おそらくですが、お別れ会が行われるのは早くて6月頃になるのではないでしょうか。
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西城秀樹のリハビリの病院は?
(出典:http://say-move.org)
そして、西城秀樹さんがリハビリをしていた病院なんですか、「JR workout(ジェイアールワークアウト)」という病院だったそうです。住所はどこでしょうか、東京都台東区日本堤1-18-7となっていますね。脊髄損傷、脳出血、脳梗塞、くも膜下出血など重症を負った方の後遺症を、リハビリ等を通じて歩行機能の回復をサポートする機関なんですね。
西城秀樹の最後の様子と口コミ情報
(出典:https://middle-edge.jp)
西城秀樹さんは本名・木本龍雄、広島市の出身です。1972年3月に『恋する季節』で歌手デビューしました。当時のキャッチフレーズは「ワイルドな17歳」、愛称は「ヒデキ」でした。1973年6、『情熱の嵐』がオリコン週間で初のベストテン入りを果たし、トップアイドルとして躍り出ます。郷ひろみさん、野口五郎さんと共に「新御三家」と呼ばれ、70年代男性アイドルのトップに君臨しました。
1974年の『薔薇の鎖』では、当時の斬新なマイクスタンド・アクションを披露、『激しい恋』でオリコン年間の第8位を獲得します。そして『傷だらけのローラ』で第16回日本レコード大賞・歌唱賞を受賞しました。ポップス歌手としては、レコード大賞・歌唱賞を2年連続受賞というのは、史上初の快挙でした。
俳優としてもドラマ「寺内貫太郎一家」にレギュラー出演、映画「愛と誠」で映画初主演と、才能を発揮します。1979年のシングル『YOUNG MAN (Y.M.C.A.)』で「Y.M.C.A.」の4文字を全身で表現するパフォーマンスを披露、その年のレコード大賞をジュディ・オングさんの『魅せられて』と、最後まで争いました。
1981年『リトルガール』で、オリコン史上初のシングル30曲ベストテン入り。続いて『セクシーガール』で、発売シングルの総売上枚数1,000万枚を突破の記録を打ち立てます。1983年1月21日に西城さんは、スタッフと共に芸映を円満退社し独立します。第1弾シングル『ギャランドゥ』は大ヒット。以降は洋楽のハードなナンバーやバラードも、シングル曲としてカバー、積極的にリリースします。グラハム・ボネットの『Night Games』、ワム!の『Careless Whisper』などスマッシュヒットを連発しました。
大阪府在住の(元)会社員だった、妻の美紀さんとは2001年6月30日に結婚しました。2002年6月に長女、2003年9月に長男、2005年1月に二男がそれぞれ誕生しています。
2003年6月に、西城秀樹さんは公演先の韓国で脳梗塞を発症します。軽度の言語障害の後遺症は残ったものの、闘病生活の末復帰、2006年9月27日、3年ぶりに両A面シングル『めぐり逢い/Same old story – 男の生き様 -』を発売しました。ところが2011年12月20日、脳梗塞が再発したとの診断を受け、2週間程度入院後。右半身麻痺や微細な言語障害などのの後遺症が残るものの、快方へ向けてリハビリに取組表、徐歩行状態など徐々に改善していました。
2018年4月25日、自宅で家族団欒していた時に倒れて緊急入院、懸命の治療が行われたにも関わらず、5月16日23時53分、急性心不全により神奈川県横浜市内の病院で死去されました。
西城秀樹さんと家族ぐるみの付き合いだった、フジテレビの笠井信輔アナウンサー、西城さんの死去を聞き駆けつました。居間で遺体に対面した瞬間から、泣けて仕方がなかったそうです。西城さんの遺体は真っ赤なシャツを着て、ネックレスをしていました。
その衣装は、西城さんのお子さんたちが、西城さんが好きだった赤色の衣装が格好いいからと選んで、みんなで着せたステージ衣装だそうです。西城さんの奥さんはまだ45歳なんですね。それに15歳の長女と
14歳の長男、13歳の次男とまだまだ育ち盛りの子供がいます。
奥さんは相当憔悴しきっているようです。笠井アナは連休明けに西城さんの入院を知り、西城さんの奥さんの美紀さんに電話をしましたが、見舞いは断られました。前向きなはずの美紀さんの弱気な言葉を聞いて、笠井アナも覚悟を決めたそうです・・・
西城秀樹さんの死去については、悔やまれているコメント口コミが多数、寄せられていますね。
・自宅で倒れた時すでにCPAだったんですね…
・昭和大学藤が丘病院は大病院だから、西城秀樹さんの病院に間違いないでしょう
・西城秀樹さんのリハビリ病院って、横浜から遠い場所にあるんだな~横浜にはないの?
・小学校の運動会や中学校の体育祭の時は、いつもヤングマンがかかっていました。若い頃のVTRを見て改めて秀樹さん本当にカッコいいと思いましたが。
・今のアイドルと違って背も高くオーラが違う。残念ですがご冥福をお祈りしています。
西城秀樹が死去した病院は横浜?どこにあるのかについてまとめ
新御三家の郷ひろみさんや野口五郎さんが元気に活躍されている中で、西城秀樹だけ死去されてしまうというのは、本当に悲しいと思います。もう、あのアクションや歌唱法が見られないのは残念でならないですが、今は西城秀樹さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
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